物語によって育まれる「感性」が不足している?

では、現代の小学生が「物語」に全くご縁が無いかと言うと、そんなことは無くて、昔の週刊漫画雑誌に代わるものとしてテレビアニメ番組がありますし、児童向け冒険物語に代わって宮崎駿のアニメーション映画など非常に優れた物語作品が数多くあり、劇場のみならず家庭でもネット配信で鑑賞されています。

ですから、今の子どもたちに物語によって育まれる「感性」が不足しているとは、私は考えていません。

もちろんアニメもろくに観ることがなく、スマホでゲームに没頭しているだけという子どもさんが、感性に乏しいばかりか深刻な情緒障害に陥ってしまう例も実際に見て来ました。

ですから、アニメ作品をしっかりと観るという事が本当に大切だという前提に立って、「本による物語の世界」と「アニメによる物語の世界」とを比較しながら考えてみたいと思います。

アニメ作品は「映像」によって物語を語り、「本」は文字によって物語を語ります。

アニメ作品 = 映像(声や物音を含む) ➡ 想像世界(出来事の意味や登場人物の気持ちを推し測る)

本 = 文字を読んで理解する ➡ 映像(声や物音と場面)を思い浮べる ➡ 想像世界(出来事の意味や登場人物の気持ちを推し測る)

さて、「アニメ作品」では映像が登場人物の姿かたちと声や物音と場面が、最初から眼前に展開されるのに対して、「本」の場合には書かれた文字を読んで理解し、そのことによって初めて映像を思い浮かべることになりますから、アニメの場合よりワンステップ多いということが分かります。

ワンステップ多い分、理解に時間がかかるとも言えますし、映像の自由度は広いとも言えます。つまり、理解の仕方や深さによって、出来上がる映像も人それぞれに違ってくるのが自然です。

例えば、登場人物の姿かたちは、アニメ作品ではズバリ決まってしまいますが、本から読み解いて浮かんでくる登場人物は、読む人によってさまざまな姿かたちになりますね。

言い換えると、このワンステップは、映像のように確固として与えられるのではなく、想像世界の土台を作っていることがわかります。

ですから、本の想像世界はアニメの想像世界よりもはるかに自由で深く奥行があります。

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この世界の違いを言葉の世界として表すと、アニメ作品は「話し言葉」の想像世界で出来ていると言えますし、他方、本は「書き言葉」の想像世界で出来ていると言えます。

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