<まずは小学4年生になったならば>
ぜひ大門塾の「読み聞かせ」教室に週2回、通わせて下さい。1回50分ですから週2回で100分になります。
教材は「ハリーポッター」ですが、本は使いません。なぜかというと耳からのみ聴く「読み聞かせ」がすごく大切だからです。これは、心に「物語の世界」を開くためですが、以前の記事の中でも書いていますし、また何度でも書く機会もあるでしょう。それ位、重要なことです。
私が、「読みと解説」をチャンポンにしながら、小学4年生にも小説の情景がありありと想像できるように、身振り手振りを交えながら「読み聞かせ」をするのです。
ハリーポッターというと今やあまりにも有名で、映画にもなっていますし、どれだけ子どもの興味関心を惹くことが出来るのかという声を聞くこともありますが、そういう意味での悪影響を感じたことはありません。
たぶん、多分の話ですが、映画で視覚的に入って来る心の世界と、読み聞かせで入って来る心の世界とは違うということだろうと思います。それが証拠に、
「映画で見たことあったよ、今思いだした。でも、こういう事だったのかと今、わかったよ」
という声がしばしば聞かれるからです。
それから、国語というと中学受験レベルの説明(論説)文をなんとなくイメージされているお父さんお母さんは、「教材として易し過ぎないか?」という疑問を感じることも少なくないようです。
しかし、私が教材として選んでいる「ハリーポッター」は、松岡佑子訳の文庫版ですが、訳すに際して小学生にレベルを合わせるようなことは一切していないと思います。
「神秘 摩訶不思議 詮索 家風 嬉々として 癇癪玉 腕白 薄紫 幻想 見識 くぐもる 奇遇 驚異 賢者 漆黒・・・・・・・・」
上記は「第一巻 賢者の石 第一章 生き残った男の子」、つまり物語りの出だしからアトランダムに抜き出した表現です。漢字に読みが付されているものは圧倒的に少ないです。あなたが小学生を対象にして訳すとしたら、こんな言葉を使いますか?
この話になったので付け加えますが、ハリーポッターは「最終巻 死の秘宝」に至るに連れて、作者J.K.ローリングの世界観を色濃く映し出して、「唯識論(ゆいしきろん)※」ともいうべきものを展開しています。
小学生?いえいえ中学生にも、高校生にも、いい年をした大人にも、とてもとても理解できないかもしれない「哲学」が語られているのです。
ハリーポッターは、作者の哲学と、それを妥協無く訳そうとする訳者の意思が相まって、子どもの心に「物語の世界」を開くには、数少ない恰好の教材になっています。
※唯識論(ゆいしきろん):あらゆる存在や事象は広大無辺の、しかし、「ひとつの意識」の中で起きているもので、個人の意識はその無限の意識の一部に過ぎないが、人はその小さな意識を通じて無限と繋がることが可能で、そのことに依ってあらゆる苦しみから解き放たれる、とする思想。

次回は「小学5年生になったなら」で、「読み合わせ」についてです。
つづく